夫、移植から988日目
実はちょっとここのところ風邪気味です。
日中は真夏の暑さ
気温の日内変動に、体がついて行かない様子
2週間ほど前から咳をしてたのが
やっとおちついてきたと思ったら
今日から再び喉が痛くなってきたとのこと。
寝冷えしちゃったかな?
でも風邪=高熱だったのが
去年の秋以来、発熱はなしできているので
だいぶ免疫力もついてきた模様
ま~移植日誕生日だとすれば
2歳半ってとこなので
風邪もひくわなぁ
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かな~~り久しぶりのアップになりました。
夫、移植から958日目
おかげさまで、元気です。
直近の血液検査
相変わらず血小板は低いですが
他はOK
3日ほど前から風邪気味ではあるものの
熱はでてません。
以前は風邪→高熱だったのが
今回初めて 熱を出さずに回復してきてます。
免疫力もだいぶついたみたい(^^)
平穏無事に、ただただ感謝です。
夫、移植から896日目
今日は、夫と腸専門の外科外来へ
先日受けた、大腸の検査結果と今後の流れについての説明でした。
結果・・・・ 人工肛門を閉じる手術はしないことに決めました。
前回までは、これまでずっと担当だった主治医(膵臓、胆嚢専門)の外来で、主治医曰く「人工肛門を閉じる手術なんて、1週間の入院でいいし
簡単だよ~ 。ちょっと狭くなってるとこもあるみたいだけど、機械で
広げれば大丈夫でしょう。詳しくは腸専門の先生の外来できいてください。」という軽~い対応。
手術にむけての心電図やレントゲンまでとってたのですが・・・
ふたを開けてみたら
狭窄してた箇所が、3年前と比べて
かなり長くなっていたことが判明
おそらく、白血病治療時の抗がん剤の影響だろうとのこと。
んで、下手すると大腸を全部摘出して
小腸と肛門をつなぐことになるそうです。
そうなると、大手術になり、おまけに術後は
排泄のコントロールが難しいだろうという見解でした。
先日の主治医のあの軽いのりはなんだったのか(--:)
物理的には、手術は可能だけど
手術したら、今より生活の質は落ちるという医師の説明で
夫は「手術はしません」ときっぱり。
手術をしない=今の生活のレベルが継続ではありますが
人工肛門を、一生抱えて生きることが決まったわけで・・・
人工肛門を造るに至った経緯を考えると
夫の気持ちを思うと
なんとも複雑です。
ということで、人工肛門を抱えながら
これからの人生をどんだけ楽しむかに
フォーカスを当てていくことになりました。
その第一弾として
病院から戻って、プレミアの日本酒で二人で乾杯!
あて(つまみのことです)は、滋賀名産 小鮎の飴煮で。
どんな過酷な状況でも
うろたえることなく、静かに受け止めてきた夫
心から尊敬します。
夫、移植から799日目
おかげさまで、今日も元気に仕事にいって
無事帰ってきてくれました。
さて話題はガラリと変わりますが
毎週土曜の夜、大好きな寅さんがBSジャパンで放映されてます。
実は寅さんは、私の命の恩人だったりします。
もともとは夫が寅さんファンでした。
でも私は、寅さんの良さがさっぱりわかりませんでした。
「見る前からストーリーが決まってる映画のどこが面白いわけぇ?」と
寅さんを観ながら、泣いたり笑ったりするする夫をさめた目でみていたものです。
それが、大ファンになったのは
長女が他界して1か月たったころでした。
当時、私はどうやったら娘のところに間違いなくいけるか、それしか頭にありませんでした。ものの本によると、自殺すると地獄に行くと書いてあったので
自殺では天国にいる娘には会えなくなると思い
いかに自然死で意図的に死ねるか?という
わけのわからないことを真剣に考える日々でした。
そんな時、見るとはなしにつけていテレビに寅さんが映っていました。
どんなストーリーやシーンだったかすら覚えてませんが
一瞬、寅さんをみて「ふふっ」と笑ったんです。
笑った自分にびっくりしたことは今でもはっきり覚えています。
その時、「あー 私まだ笑えるんだ。 笑えるんだったら、もう少し生きてみよう」
不思議とそう思えたんです。
それから、寅さんは私の最高のカウンセラー。
なんたって、あの細い目と、少し癖のある髪が
大好きな夫そっくりなところも、ぐっときます♪
初対面の人の氷ついた心も、一瞬にとかして自己開示させてしまう寅さんは
私の目指すカウンセラーなのです。
夫、移植から783日目
おかげさまで今日も元気です。
夕方、夕飯をこしらえる私の傍で
夫が「あ~~ 腹へった~」と一言。
この言葉、どんな愛のささやきより(夫に愛をささやかれた記憶はないけれど・・・)
私をうっとりさせてくれます。
一時は、ひとさじのお粥さえ口にできず
点滴や、経管栄養で命をつないでいた夫なので
「腹がへる」ってことが
とっても有難いのです。
そして、腹が減ったら食べられるものがなんでもあるということも
なんとも有難いことです。
日本であっても、食べたいのに食べるものがない状況にある人は
決して少なくありません。
食べられること、食べるものがあること
この幸せが、すべての人に与えられることを願ってやみません。