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父の威厳

夫は、事故に会う前「ごりマッチョ」だった。
お腹の筋肉はわれ、大胸筋がぴくぴく動いた。
腕相撲では、体操をやっている中三の息子らが、両腕をもってしてみても
夫にはかなわなかった。

事故後、長期間の寝たきり状態で
夫の筋力はみるみる落ちた。
入院中、一度ふざけて私と腕相撲をしたら
私を負かすことができなかった。

夫は、人工肛門の手術後
食欲とともに体力が回復し始めると
時を惜しんで筋トレに励んだ。
今も、朝起きるなり両手に鉄アレイを持ってトレーニングをする。

先日、久しぶりに息子らと腕相撲に臨んだ。
高校生になり、ますますたくましくなった息子ら
さすがに両手ではかなわないが
なんと利き腕では、息子らに勝ったのだ!!!

「だいぶ、筋力がもどったな」と、さらっと言い流した夫だったが
内心、にんま~~~~~りしているのがよくわかる。

夫は努力の人である。
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夫の体重 その2

ここにきて、夫の体重が増えてきた
喜ばしことだといいたいが
増え方が気になる。
10日で3キロも増えた。

純粋に筋肉、脂肪が増えていればいいのだが
急激な体重増加は、水が溜まっている
つまり、「浮腫」によることが多い

実際夫は、会社から帰ると
結構足がむくんでいる。

血液検査では、腎臓の機能には異常なく
心不全を思わせる症状もないが
体重が増えたら増えたで、心配の種になってしまう。

閻魔さまに感謝

夫はICUで、文字通り生死の境をさまよっていた頃
閻魔様にあったそうだ。
険しい崖を、やっとこさ登りつめて頂上についたと思ったら
山頂にいた閻魔様から、下界に突き落とされたといっていた。

その話を聞いた子供らは
「閻魔様だってどうして判ったの?」
「やっぱり着てた服には王って書いてあった?」
「しゃく ってもってたの?」
と質問の嵐(おいおい そっちかよ)
子供らには閻魔大王=おじゃる丸のキャラクターといったイメージが
強いようだ。

私は、ひそかに
閻魔様は亡くなった夫の母ではないかと思っている。
母の姿のままだったら、夫は抱きついていって
あの世にいってしまったかもしれない。
それで義母は、閻魔様に姿を変えて
息子への愛しい気持ちを押し殺して
私たちのところへ、夫を返してくれたのだと思う。

子供らの質問に対して夫は
「はっきりとは覚えてないけど、あれはまさしく
閻魔様だった」とのこと。

閻魔様、大切な夫を返してくれて
ありがとうございました。

玄米スープ

yuzuburogu3.jpg
我が家では、「玄米スープ」をよく作る。

夫が入院して、経口摂取が許されるようになって
食欲が回復してくるまで、ほぼ毎日こしらえていた。

この「玄米スープ」は辰巳芳子さんという有名な料理研究家のレシピだ。
九州にすむ実家の母が、夫の体にいいだろうと
いった玄米と料理本とを送ってくれた。

夫は、2回目の手術後回復するまで
食欲がなかった。
ひどい時は、ひと匙のおかゆさえ
口にできなかった。
その夫が、この玄米スープだけは
体が受け付けてくれた。

レシピと作り方は下記のとおり。

いった玄米  80g(できればオーガニックのもの)
昆布     5×5㎝ 2~3枚
梅干し    1個 
水      1000cc 

作り方
① 玄米は2~3カップ、1時間ほど水につけた後ざるにあげ一晩置く
② ①の玄米を油気のない平なべ(フライパンでもOKだがゆきひらだと
  なおgoodで30分程度、弱火でいりつける。
③ 炒った玄米80gと他の材料を、鍋にいれ
  火にかける、沸騰したら弱火で30分煎じる。
④ ざるなどで、③を濾してできあがり。

ポイント
* 梅干しを使うので、煎じるお鍋はホウロウかテフロン加工のものを使用。


玄米を炒りつけていると、次第に香ばしいにおいが
家じゅうに立ち込め、それだけでほっこりした気持になれます。
また、大切な人が元気になる姿を思い浮かべながら炒ると
30分なんてあっという間です。

辰巳先生には「邪道」とおしかりを受けそうですが
我が家の玄米スープは
「野菜だけでつくっただし」というだしパックをいれて煎じます。
茶じゅキノコという、薬効のあるキノコも入っているとかで
出来上がりは、自分でいうのもなんですが
高級料亭にも劣らない、優しく
滋養に満ちた味にしあがります。

  

夫のいでたち

夫のお腹には2か所孔があいている。
人工肛門と、のう胞に入れている管だ。

人工肛門にはパウチと呼ばれる専用の袋を張り付けてある。
夫は肌が敏感なので
1日おきにパウチは交換している。

のう胞の管にも、排膿されたものが溜められるよう
袋がついている、
これは、人工膀胱の患者さんに使用するものを代用した。
普段はこの袋、ズボンのポケットに入れて移動している。
必然的に、シャツなどはズボンから出した状態となる。

しかし通勤の際は、そうもいかない
シャツなどはズボンの中に入れる必要が出てくる。

そこで、のう胞のパックは足にバンドでくくりつけ
ズボンのベルトはせずに、サスペンダーを使用。
これで上着を羽織ってしまえば
外からは、健常者と全く変わらない。

夫は痩せたおかげ?で、以前きていたスーツのズボンが
みごとにブカブカだ。
それで、人工肛門のパウチが少々膨れてきても
あわててトイレに駆け込まずにすんでいる。

復職前に、いでたちをどうするか
いろいろ考えたが
まさに、必要は発明の母なのであった。

夫の体重

夫が退院し、一か月半がたった。
夫は、今回の闘病で体重が17キロも減ってしまった。
事故前76キロあった体重が、59キロまで減った。
食欲は戻ったが、なかなか体重が増えない
なんとか60キロの壁は越えたが、それからは停滞している。
食欲はほぼ健康なころにもどり
間食も意識してとるようにしているのだが・・・

エネルギーの貯蔵庫である、筋肉と脂肪が激減した夫は
スタミナがすぐにきれてしまう。

また、夫にとっては
体重増は、のう胞にとっても重要なのだ
のう胞周囲の脂肪や筋肉をつけることで
のう胞を押しつぶしてしまうことが
完全治癒につながると医師から説明があった。

実は私も夫の入院中、5キロ体重が減った
食事中も常に夫のことが頭から離れず
食欲はおち、味もしなかった
食べるというよりは、共倒れにならないようにと
「詰め込む」といった状態たっだ
それが、夫が退院して
何を食べてもおいしくて仕方がない。
当然、体重はみるみる増え
ぶかぶかになっていたGパンが、あっというまにぴったりになり
そろそろパンパンになりそうな気配

ちょっとまずいな~

庭のこと

我が家はマンションだが、1階で、40㎡ほどの庭がある
「花よりだんご」で、料理やティーによくつかうハーブや
ベリーを多く植えている。

今日は、梅雨前に大きく育ったバジルを収穫
ベニシアさんのレシピにそって
パスタソースをこしらえた。
我ながら、上出来♪

写真は、我が家自慢のブラックベリー棚。
7~8年前に植えた小さな苗が
年々大きくなって、今年もたわわに実をつけてくれそうだ。
採りためておいたワイルドストロベリーやラズベリーとともに
ジャムやフルーツソースを作るのが楽しみ。
パンに塗っても、ヨーグルトと一緒にいただいてもおいしい♪

以下はベニシアさんのバジルペーストレシピです。
ご参考まで

  材料  バジルの葉   65g
      松の実     大さじ3
      にんにく    3~4かけ
      オリーブオイル 大さじ5
      塩       小さじ半分
      こしょう    適宜

  作り方 上の材料をミキサーにかけるだけ
      製氷器などにいれて冷凍保存し
      必要な再、解凍してつかいます。

yuzuburogu2.jpg

外来受診

本日は、外来受診。
予定では、来週だったが
のう胞に入れているチューブと皮膚を固定している糸が切れてしまったので
急遽、受診することになった。

先週の血液検査の結果は、炎症反応を示すCRPが
なんと0.14! 全くの正常値♪
事故にあって以来、初めてみる数値だ
また膵炎の状態を示す値も全く正常値♪
食事は、普通食で実はアルコールも少しも飲んでいる。

重症急性膵炎になった場合
膵臓そのものが溶けてしまい、食事管理が大変な場合もあるが
夫の場合、それは避けられたようだ。

人工肛門の管理は、面倒だが
食べたいものを食べることができるというのは
本当にありがたいこと。
感謝です。


出勤2日目

夫は、本日出勤2日目
駅まで、1・5キロほどの道のり
私が車で送迎するといっているのに
「リハビリだから歩く」といってきかない。

たまらなくて、私も駅まで歩いて迎えにいく
遠目からもやせたことがわかう夫の姿に
なんとも切なくなる。

昨日は、7か月ぶりの復職を祝って
お赤飯を炊いた。
ささやかだが、家族で囲む祝いの食卓。
こんなにがんばっている夫。
なんとか人工肛門だけでも閉じれるようになってほしい。

退院!そして宝石の時間。

yuzuburog.jpg
人工肛門の手術後、夫の食欲はめざましく回復し
それとともに、体力も少しづつ回復
のう胞に管入ったままだったが、医師からは退院OKがでた!!!

4月26日
退院。 実は23日が退院予定だった。
思いっきり退院の準備をして、迎えにいったら
前日の検査で使用した造影剤が影響し
高熱を出してしまった。
「ここまできて、それはないでしょう」と意気消沈したが
熱が下がって、26日に無事退院

昨年の11月10日、事故にあってから
この日まで、泊り込んで付き添いした日を除いて
1日もかかすことなく夫のもとの通った。
皆勤賞だ。
我ながらよくやった。

4月29日

この日は、わたしたち夫婦の19回目の結婚記念日。
なんと無謀にも、京都大原にある
ベニシアさん宅におじゃました。
NHKの番組で、今旬の人だが
以前、会社の講演会に講師としてお招きしたのをきかっけに
お知り合いになった。
夫の病のことは、ベニシアさんはご存知で
何かと気を使ってくださった。
いただいたミントのハーブティーのさわやかで
おいしかったこと。

ベニシアさんのご自宅は、お庭もお家もとにかく素敵。
夫と二人での久々の外出ともあり
完全に舞い上がってしまった。
最高のアニバーサリーになった。

(ベニシアさんに関しては添付のサイトを覗いてください。)

 5月

ベニシアさん宅訪問で、自信をつけた夫と二人で
「リハビリ」と称し
あちこちでかける日々。

伏見稲荷、 近江八幡、五個荘、仰木など
京滋のほっこりスポット、パワースポットをめぐり歩いた。
自宅周辺の散歩も至福の時間だ。
路すがら、面白いお店やおいしいパンやさんを見つけたりと
この半年がまるで悪い夢だったのではないかと
思わせるような時間だった。

5月28日、夫の会社にともに挨拶に行く。
みなさん暖かく迎えてくれた。


そ・し・て

6月7日の今日。
お腹に2か所、穴が開いたままだが
夫は職場に復帰した。

7か月振りの仕事だ。
昨日から、夫はそわそわ。
私は久しぶりに夫の背広にアイロンをかけた。
もともとは、アイロンがけは好きなほうではないのだ
今は、しみじみアイロンがけができることがありがたい。

私も、看護師の仕事を少しずつ開始することにした。
明日、パートの面接をうける予定。
事故前と比べてしまうと、夫の体は大きく変わったが
生活は、確実に事故前に近づきつつある。

夫の退院後、24時間、夫とは半径5メートル以上
離れたことがほとんどなかったので
一人、家にいると
自分の体が半分になってしまった、変な感覚。
早く帰ってこないかな~。




 
 
 

闘病記その4:再手術まで

3/15

  夜、医師から現状について説明があった。
  のう胞と大腸のろう孔に、便が入り込んでいる状態
  なるべく早い時期に手術をした方がよいとのこと。
  手術というのは人工肛門を作るということだ。
  
  重症急性膵炎にさせられ、息を殺すようにのう胞の感染をしのいだ。
  胃と吻合して、のう胞の内容をドレナージできれば
  2週間で退院といわれたのに
  その手術で、あっさりのう胞は感染した。
  さっさと経皮的にドレナージすればよかったのに
  ぐずぐすしている間に、大腸とろう孔をつくり
  今度は人工肛門だそうだ。

  いい加減にしてほしい。夫はただの胆石だった。
  それがなんで人工肛門までつくらなければならないのだ。
  ○○総合病院が、ただただ憎い。
  あの日、○○病院にいかなければ 
  いつもと同じ、家族で食卓を囲み
  たわいないおしゃべりをし
  山菜摘や潮干狩りの計画で、きっとワクワクしていた
  週末はどこにいこうか、何を食べる?
  そんな普通の幸せがつづいていた。

  夫は、元気になれるのだろうか?
  のう胞はなくなってくれるのだろうか
  人工肛門をつくったところで
  ろう孔がふさがるわけではない。
  一生ストマケアをさせられるのだろうか
  
  やさしくて、強くて、暖かくて
  誰からも慕われている夫に、なぜこのような辛い
  過酷な仕打ちをされるのか
  3月17日
  手術が3月24日に決まった。ワーファリンが中止になり、
  へパリンの持続点滴となる。

3月23日
  手術を明日に控え、経管栄養も中止になる。

3月24日
  手術当日。手術は予定どおり2時間程度で終了。
  お臍の横に15センチほどの傷と、りっぱなストマが右脇腹にできてきた。

  麻酔がさめて、痛みと吐き気がでてきた。
  鼻から入れられているチューブから、
  抹茶を溶かしたような胃液が出てくる。
  この日は、私も仕事を休んで夫につきそい
  病院にとまりこんだ。

3月25日
  私の仕事最終日。長年務めた職場だが、今は夫のことでめいっぱいで
  感傷にひたっている余裕もない。
  終日、あいさつ廻りをした後
  夫のもとに走る。
  
  吐き気がおさまらない。
  レントゲンの結果、腸の動きが悪く
  イレウス状態とのこと。
  やっぱり手術なんかしなければよかったのか

 3月26日

  術後、初めてのストマの交換。
  交換室に移って、専門のナースから指導を受けるが
  途中、冷や汗が吹き出し嘔吐。
  夫。つらそう。

 3月27~4月初旬

  吐き気は次第におさまり、飲水が許可になり、食事も3分がゆか開始
  ストマ造設で、便がのう胞に入り込まなくなったため
  血液の炎症反応が1代になった。
  なにより、あれだけ続いていた熱が出なくなった。

 4月中旬

  食欲が少しずつ出てきた。
  以前はにおいだけで吐き気をもよおしていたが
  「すし、食べてみたい」なんていええるようになってきた。

  とにかく栄養をつけたいと夫の希望で
  毎日、半熟たまごと玄米を30分煎じてこしらる
  「玄米スープ」をもっていく。
  夫がおいしそうに食事をしている!
  うれしい うれしい

 

 
  


   
  

  
  

闘病記その3: 再手術までのながれ

1/30
    土曜日、子供らをつれて病室へ。
    やはり子供らがいると、夫もうれしそう。
    「勉強やってるか?」とたわいない会話が、一時であっても
    安らぎです。

2/1

   CRPは5・5と横這い。ただ白血球が8000台になりました。
   でも発熱は38度まで上昇。
   一つよいことがあってもまたがっかりさせられることも。
   腹部のドレーンが1本減り、現在チューブ類は4本に。
   少しずつ、良くなっているのでしょうか。
   ただ実感がわきません。

2/3

いきなりCRPが8.8まで上昇。
   発熱も夕方になると38度を越えました。
   心配で、この日は夜殆ど眠れず。
   節分の豆まきの時「熱下がれー」「炎症きえろー」と
   叫びました。

2/4

  本日Cチューブが抜去。いつもまにかサチレーションもはずされています。
  夫はまた脈が速くなりがちですし
  動作時にはかなり息が切れるので
  サチレーションのモニターだけはつけていて欲しかったのですが
  必要度の高い人が他にいるとのことで
  はずされてしまいました。 AFが心配。

  この日、胃の造影があり明日から食事が開始されることに♪
  私は嬉しいのですが、経腸栄養で空腹感がない夫は
  不安のほうが大きいようです。

2/5

  重湯から始まると思っていた食事ですが
  三分粥から開始に。
  「もったいないから」と全部食べたそうですが
  その後、気分が悪くなってきたとのこと
  少しずつから始めればいいのにね~

2/6

  午前中は発熱が36度台の日もでてきましたが
  夕方になると相変わらず38度まで熱があがります。
  経口摂取も思ったよりすすみません。
  2~3口食べただけで、「苦しい」と・・・
  待ちに待った食事のはずだったのに
  今の夫には食事=苦行です。
  こんなに辛そうな顔をして、食事をする人がいるでしょうか
  いったいいつになったら笑える日がくるのか・・・

 2/7

  今日は日曜日。
  お昼ごろいくと、なんとEDチューブが抜去されていました。
  管の入っていない夫の顔をみるのは実に3ヶ月ぶりです。
  経管と経口の併用で栄養を摂っていましたが、ものを飲み込む際
  喉の奥でチューブがこすれて出血するようになり
  チューブを抜くことになったそうです。
  「顔を洗いやすくなった」と頬のこけた顔で
  力なく夫が笑います。
 
  また福岡から夫の兄家族がわざわざお見舞いに来てくれました。
  病室では手狭なのでデイルームで面会しましたが
  夫は20分ほど座っただけで気分が悪くなり部屋でダウン。
  わずかな負荷でも夫にはまだまだ負担です。

 2/8

  また点滴の入れ替え。夫の血管はもろくなり
  すぐに漏れてしまいます。
  血液検査ではCRPが相変わらず8代と高値。
  白血球もじりじりと上がってきています。
  食事も相変わらずあまりとれず、本当にやせてしまいました。
  人相がかわってしまっています。
  心配で心配で心配でたまりません。

 
 2/9~15

  この間、食事は殆どとれないまま。途中からは臭い
  をかいだだけで吐き気を催す始末。
  2/12に、いったん5台に下がったCRPがいっきに10代に上昇
  白血球も16000に! 急遽CTがとられ経皮的ドレナージも
  視野に入れワーファリンが中止に。
  CTの結果に大きな変化はないとのことだが
  感染の可能性は大だ。

  私が考えても、下に下がってしまっている仮性膵のう胞の
  中身が上に上がって胃からでてくるとは思えない。
  医師に促され、右側臥位や腹臥位にするが
  吐き気が酷くなるだけで
  これといってよい兆しはない。
  相変わらず夕方になると38度を越える発熱。
  夫の形相はまるで末期がん患者のよう。
  栄養が、経口からまた経腸に代わった。
  夫はとりあえず、食事の苦しみからは開放された。
  生きてほしい。 生きて欲しい。
  今夫を失うわけにはいかない。

  私の中で、何かがふっつりと切れた。
  精神的にも肉体的にももう限界
  3月末に、長年勤務していた職場を去ることにした。
  介護休職という路がないわけでもないが
  企業内診療所に勤務しており看護師は私一人なので、
  長期間、不在にするわけにもいかない
  ありがたいことに、会社からは「パートでもいいから残って」と
  いってもらったが
  先の見通しが全くたたない。 
  疲れた。

 2/16

  食事を全く摂れない夫だが、オロナミンcと
  はちみつ入りの牛乳だけはなぜか飲める。
  牛乳は脂肪が気になるが
  必要カロリーを考えれば気にしてなどいられない。
  暖めた牛乳に、九州の母が送ってくれた
  自然の山でとれた純粋蜂蜜を入れる。
  山の力よ、どうか夫にパワーを与えてください。
  また今日から、ネットでしらべた
  漢方薬(柴胡桂枝湯加附子)を
  処方してもらう。
  わらにもすがる思いで、ネットの情報をプリントアウトして
  担当の先生に渡したら、わざわざ詳しい情報を調べてくださり
  同じものを処方していただけることになった。
  ありがたいことです。

  お昼、夫から携帯に電話がかかってきた。
  なんと明後日、のう胞の経皮的ドレナージをすることが
  決まったとのこと。
  内臓の穿孔などの偶発症が怖い
  良い結果が出ますように。
  夫はもう十分耐えてきました。
  最善の結果を出してください。
  祈る 祈るのみ。

 2/18

  相変わらず食事が摂れない。経腸栄養も1000Calどまり。 
  点滴も静脈炎を起こすからと、カロリーダウンの
  内容となった。
  この二日ほど夫の発熱が38度を越えることなくなった
  炎症が治まってきているのか、もはや発熱するだけの
  体力もないのかわからない。

  明日は、いよいよ経皮的ドレナージだ。
  良いターニングポイントになってほしい。
  なんとか口から、食べられるようになってほしい。
  わたしたち、もう十分苦しんで、十分耐えてきましたから
  そろそろ明るい出口を見せてください。

 2/19

  約2時間かかって、経皮的ドレナージを施術。幸い偶発症はなく
  上手くのう胞に管が入ってくれた。
  のう胞の内容物は、細菌培養に出しているが
  肉眼的な性状から、感染の可能性は大とのこと。
  細菌の種類が確定次第、抗生剤での洗浄を開始予定。

  痛み止めを使っているせいか
  熱発は36度台をキープ。

 2/20

  痛み止めをやめたら、やはり発熱。
  食事が口から入らないので、経腸栄養をやっと
  増やしてくれることになった。
  これで少し体力が回復してくれたら嬉しい。

2/21

  病院食はストップになったが、持ち込んだものは
  何を食べてもいいといわれたので
  夫のリクエストでカレー味のポタージュスープを
  こしらえてもっていく。
  「久しぶりのカレーの味だ」といって
  2回にわけて、茶碗1杯ほどを食べることができた。 
  夫のために料理ができるのは嬉しい。
  
  「噛む」ことが、食欲や栄養の吸収に繋がると
  医師からいわれ昆布を時折噛む。 
  ガムを買ってきたが
  夫はもともとガムがあまりすきではない。
  明日は、「するめ」をもってきてとリクエストがあった。
  
  それからこれはトップシークレットだが
  こっそり、杯に半分ほど 梅酒をのんでみた。
  アルコールは胃から吸収されるので
  なんとか胃が動いてくれるのではと思ったのだ。

  3ヶ月半ぶりのアルコール。
  「うわ~ 胃にしみていくのがわかる」と夫は嬉しそう。
  膵炎後の患者にアルコールなんて、前代未聞で
  医師にばれたら、即病院を追い出されてしまいそうだが
  とにかく、口から食べられなければ
  社会復帰が難しくなる。
  ここまできたら、なんでもやる。


 2/22

  仕事を終え、夫のもとの走ると
  散髪をして、すっきりとした顔をしていた。
  自力で院内の床屋までいってきたとのこと。
  「昼、おにぎり食べたよ」と一言

  たかがおにぎり1個だが、今の夫にとっては
  画期的なできごとだ。
  なにより「何か食べよう」と思えたことが嬉しい。

  体力が落ちているので
  散髪と、レントゲン検査で疲れてしまい
  6:30には、寝息を立てて眠ってしまった。
  お疲れさま。

 2/23

  今日は、昨日と比べ食欲がない。
  夕方もっていった食事も、ほとんど手をつけられなかった。
  熱も37・7度まで上昇。
  ただ、CRPは8から5に下がった。
  でもWBCは8000から9000に上昇。
  ドレーンからは、アーモンドペーストのような
  濃がでてきている。
  先の見えない状況に、夫も相当疲れている。
  ネガティブな言葉しかでてこない。
  元気になってほしい。元気になってほしい。元気になってほしい。

  夫の体をぼろぼろにした○○総合病院から
  医療費の請求がきた。
  殺されかけた相手に、金をはらえというのか
  怒りで体が震える。


 2/25

  今日から、リハビリが始まったとのこと。
  術前より、関節の硬縮が進み
  筋力も低下しているとのこと(わかってましたけど)
  事故前は60近くあった夫の握力は、現在25。
  歩く際に、腰も少し曲がっている。 
  今日はストレッチをメインにやっていただいたが
  明日からは2回/日 筋トレも始めててくれるとのこと。
  ありがたいことです。

  今日の夕飯には、ミニサイズのカレーヌードルをご所望
  これは殆ど食べることができた。
  ものすごく体に悪そうだが、「それなら食べれそうな気がする」
  と夫からリクエストがあったのだ。
  デイルームでお湯を入れる際、ナースに見つからないか
  ひやひやした。
  この際、何でもいい。食べてくれるようになれば。


 2/28

  この日は、約2週間ぶりの外出。
  経腸栄養のセット、点滴スタンドを持参して帰宅。
  夫は帰ってくるなり、台所の包丁を研ぎ始めた
  「最近、包丁が切れにくい」と私がぼやいていたのを
  覚えてくれていた。
  庭にも出て、伸び始めた空豆をひもで固定する。
  たったそれだけの作業だが、疲れた様子。

  お昼は、カレーうどんを半分ほど食べられた。
  
  寅さんのDVDを布団の中でみて
  夕飯も皆で食べて
  4ヶ月前は、当たり前だった家族で囲む食卓
  もっと感慨深いのかと思ったが
  不思議と自然に感じた。
  だからこそ家族なのだと思う。

 
 3/1
  夕方、病院にいくと
  夫がいきなり大部屋に移っていた
  「大部屋」は暗い。
  皆カーテンを閉めまわし、ひっそりとしている。
  隣に気配は感じるが、どんな人がいるかもわからない。

  以前は「大部屋」というのはにぎやかだった
  互いの病を慰めあい、少しでも動ける者が動けないひとの
  サポートをしたものだ。
  カーテンの隙間から、挨拶をしたが
  テレビのイヤホンで聞えないの反応はなかった。

 3/3

  前のベッドのいる青年に声をかけた。
  声をかければいろいろと話してくれる。
  本当は、皆声をかけてほしいのだ。
  
 3/4

  夕食はあまりすすまなかった。
  また食後、左側腹部に強い痛みがでた。
  医師にみてもらう。
  結果、腸が動きすぎたための痛みだろうとのこと。
  夫の腸は、炎症のせいであちこちに癒着している。
  医師の表現を使えば「がちがちに固まっている」
  だがら腸が動くと、引っ張られていたいのだそうだ。

  「おれの健康はいったいどこにいったんだ」
 
  夫は、苦痛に顔をゆがめながら
  むなしく吐きすてる。
  「○○病院がにくい」 はっきりそういった。

  人一倍、元気で 頑強で、良く食べよく飲んでいた夫が
  今は見る影もない。

  夫の辛さを思うと、苦しい。

 3/6、7

  抗生剤の点滴が一旦中止になったので
  入院後初めての外泊を試みた。
  子供らは、前日からそわそわ
  嬉しくて仕方ない様子。

  ただ帰宅後あたりから、熱が上昇
  久しぶりに38度を越えてしまった。
  結局7日、早々に病院に戻る。

  のう胞から殆どドレナージされていなかったのが
  熱の原因らしい。
  「チューブの先が、のう胞壁にくっついていたのでしょう」と
  医師からの説明。
  生食で洗浄してもらってから、やや熱は下降傾向となった。

 
 3/9

  今朝から、250ccの生食で、のう胞内を洗浄
 (私が医師にお願いした。)
  そのせいか、夕方になっても熱は36・8度止まりだった。
  夕食にカレースープをもっていった。
  小さめのスープざらに、1杯ほど食べれたが
  その後かなりしんどくなった。
  
  人が一番手っ取り早く幸せになれるのは
  美味しいものをたべること。
  それが今の夫にはできない。
  「食べたい」という気持ちがおこらないのだ。
  「生きる」気力も萎えてきているのか
  「こんなことなら、あの時死んでいたほうがよかった」とつぶやく。
  一番ききたくなかった夫の言葉

  「あの時助かってよかった」 そう思える人生にしてほしい。
  きっとしとみせる。

  3/6の発熱が影響してか
  今日のCRPは10を越えていた。
  これくらいのことでは、もう驚かない。

 3/10

  今日、またのう胞ドレナージのカテーテルが太くなった。
  さすがに挿入部が痛いらしく、坐薬を入れてもらったとのこと。

  食欲は相変わらずない。
  別に胃を切ったわけでもないのに
  胃が膨らまないのだ。
  機能性胃腸障害ということか
  入院生活も5ヶ月目に入ろうとしている。 
  ストレスはピークを更新しているだろうから、
  それも胃に影響しているのだろう

  夫の笑顔をみたい。
  「生きててよかった」といってほしい。
  出口はどこ?

  
 3/11

  昨夜、医師がきて本日CT検査をして
  再手術するか検討するとのこと。
  手術はいやだ。
  大腸とのう胞が繋がってしまっているので
  先々便がのう胞に逆流するかもしれないというのが医師の説明
  
  しかし、それはわからないと思う。
  逆だってありで、のう胞の中身が大腸に上手く出てくれることだって
  あるずだ。

  夫は既に体力を消耗して、全身の機能が落ちている。
  手術をして、のう胞がよくなっても
  生活が死んでしまう。

  手術さえすれば、後は元気になるだけといわれて
  1月に手術をした。結果がこれだ。
  感染しないようにと息を殺すようにじっと耐えていたのに
  手術したことであっけなくのう胞に感染した。
  のう胞が活性化して、大腸に楼孔までつくってしまった。
  だから手術はいやだ。

  手術はしない 手術はしない 手術はしない
  手術はしない 手術はしない 手術はしない

 3/12

  今日は双子の息子の中学卒業式
  子供らの入学、卒業式には必ず出席していた夫が
  今日は隣にいない。
  
 3/13,14

  外泊の許可をもらい、1週間ぶりの自宅だ。
  夫は経管栄養とのう胞の洗浄が必要だが、医師にお願いして
  必要物品を持ち帰り、すべて私が自宅で行う。
  こんなとき「看護師でよかった」と思う。
  のう胞の洗浄は、1時間ほどかけて体位をかえながらやった。
  病院では、スタッフが皆忙しく
  そこまでやってはもらえないのだ。
  管から排濃が確認されると、嬉しくなってしまう。

  例のごとく、家族で寅さんをみる。
  一瞬、病を忘れる時間。
  寅さんありがとう。

  季節は初春。例年なら家族で土筆をとりにいく頃だ。
  「もう土筆がでていたね」と私が話すと
  次男が、「僕、とってくる」と一人で家をでた。
  2時間ほどして、袋いっぱいほどの土筆。
  さっそくいつものように料理した。
  
  「僕が土筆とっていたら、知らないおばちゃんに
   声かけられちゃった」と笑いながら話す。
  この時代、一人で土筆とりなんかしている中学生なんて
  まずいない。
  父親に、なんとか春の味を楽しんもらたいという
  15歳のやさしさだ。

  皆が笑う中、夫は「春の味だな」といいながら
  顔は泣き笑いのぐしゃぐしゃの顔で、土筆の卵とじを口に運んだ。
  
  沈丁花の香り、日々膨らんでいく桜のつぼみ
  いぬふぐりや柳の新芽
  例年なら、春の訪れになんとなく心ときめく季節だ。
  献立や、庭に咲く花やハーブで季節を感じてもらおうと
  いつもうきうきしながら家族囲む食卓を準備していた。
  それが今年は「春」が辛かった。
  「もう春になってしまったのに、夫は未だ病の床」
  そう思うと、春の到来をうらめしくさえ感じた。

  そんな中、息子の「土筆」は
  春が我が家にもたらしてくれた幸せだった。

  来年は、また家族みんなで土筆とりにいこうね。

闘病記その2; 急性期から手術、その後の経過

夫の闘病記、その2です。

文体が途中から変わっているのは、私自身、精神的にも肉体的にも疲弊しており
余裕をもって記すことができなかったから。
今、思い出すと自分でもよくやったと思います。

12/5 
点滴でのどは渇かないものの、口の中が乾くらしく
夫はしきりと口をすすぎたがります。
そんな夫に「小さな氷ならOK」と
主治医から許可がでました。
事故後、初めて口からの摂取です。
小さな氷のかけらをこわごわ口にいれると
しばらく口の中でころがして、満足した様子です。

12/10 
氷以外でも、シャーベット程度なら少量OKとのこと。
病院の売店も近所の店も
この時期はクリーム系のアイスばかりで
シャーベット状のアイスがなかなかみつかりません。
やっとみつけたのが「ゆずシャーベット」
ティースプーンに少しだけすくって口にはこぶと「うまい」と満足げ。
この日は私の誕生日だったので、「ゆずシャーベット」で
ささやかなお祝い。

12/11 
この日から。ベット上でのリハビリが開始
筋骨隆々だった夫の手足は、長い床上生活で
本当に細くなってしまいました。
ただ腹筋だけは結構キープされています。
気管切開の刺激で、たびたび痰がつまり咳き込むので
皮肉なことに腹筋だけは鍛えられているようです。

12/12 
ベッドの端に座る練習。
筋力だけでなく、心臓も弱ってしまったのでしょう。5分でダウン。 
しばらくは「しんどい」を連発。

12/13 
たった1日のことですが、起き上がるときの身のこなしが
少しかろやかなり、この日は15分程度
座っていることができました。

12/14 
昨日張り切りすぎたのか、この日はお疲れ気味
午前中に10分ほど起きただけとのこと。

夫の栄養は、腕からの点滴とEDチューブからの栄養剤
(エレンタール )のみでまかなっています。
以前はIVHが入っていましたが、血栓がみつかったので
10日ほど前に抜去されました。
栄養課の医師の計算では、夫の1日のカロリー消費量は
2900Calただ寝ているだけですが、体が大きく
微熱も続いているのでけっこう消費するのだとか)
それに対し、入っているカロリーは末梢点滴と
エレンタールでは2500Calが限度とのこと。
単純計算でも400Cal/日の不足です。
IVHの再挿入も検討されましたが 感染リスクや
挿入時の気胸などのリスクも考え
しばらくはこのままで様子をみるとのこと。
事故前、76キロあった夫の体重は、この日69キロに。
一回り小さくなった感じです。

それから、今後の治療方針がおおよそ決まりました。
年明けを目処に、開腹手術で胆嚢、
総胆管結石および上腹部にできてしまった
巨大仮性膵のう胞をとる方向とのこと。
家族としては、直視下での手術が安心ですが
本人への負担を考えると、とても辛いです。
また、胆摘や総胆管結石除去は術式も
確立されていますが
のう胞は、周囲への癒着が酷かった場合採れない
可能性もあります。
夫も「お腹切るのはいやだ~~」と出ない声で
抵抗しております。(そりゃ そーよね。)
夫は、挿管がとても難しい気道をしているとのことで
(外見はまったく普通のナイスガイですが。。。)
手術後安定するまでは気管切開の穴は閉じないとのこと。
夫にとっては、まだまだ辛い日がつづきます。
ただ、来週は様子をみてスピーチカニューレに
つけかえ発音はできるようにされるとのことでした。

今季は、クリスマスもお正月も夫は病院。
例年なら、うきうきしながらクリスマスディナーや
部屋の飾りつけプレゼントやお節料理の
準備をはじめるころですが
夫不在の年末年始では、モチベーションゼロ。
夫婦で楽しんでいた、ワインやシャンパンも
おそらく一生口にすることはないと
思うとなんともさびしい。

12/15 
夕方、いつものように仕事場から夫のもとに直行。
すると先生が、今日AF(心房細動)がまたでました。
脈も180まで上がっちゃって・・とうかない顔
「いまごろどーして???」(ICUから病棟に移ったときも
出たのですがその後はなかったのです。)
AF自体は生命に直結するものではないものの
やはり心臓は怖い。いいしれぬ不安がまた襲ってきます。
脱水傾向」が影響しているのか?とのことで
輸液の量を少し増やすことに。


12/16 
心房細動は薬でおさまったものの、脈は100台をキープ。
夫は事故前、貧血の指標となるヘモグロビンが17もあったが現在は10
短期間で、本人にとってはかなりの貧血になったので
血液を回すのにかなり心臓に
負担がかかっているのではないかと思います。
主治医に相談したところ
詳しい貧血の検査をしてくれるとのこと
ただ、鉄剤の投与(注射)は、肝臓に負担をかけるので
投与は慎重にしたいそうです。

またこの日CTをとりました。 
結果胸水がうまく抜けていないことが判明
胸腔ドレーンのチューブの位置を
呼吸器外科の医師が変えてくれましたが
反応はもう一つ。  どうも詰まってしまっているようです。
様子をみて、再挿入になるかも。。。
胸水のせいか、夫は歯磨きをしただけで
SOP2(サチレーション)が
70まででおちてしまいます。
日々何かしら問題がおこり
心の休まる日がなかなかありません。


12/17 
結局、胸腔ドレーンが再挿入されることになりました。
背部に水が溜まっているとのことで
今度のドレーンは背中にさすことに
ドレーンを入れたとたん、多量の排液が・・ 
結局1時間ほどで500ccほどでました。
夫も「息がしやすくなった」とのこと。
ただ、局所麻酔が切れたあとは
けっこう傷が痛むようで辛そうです。
慣れたら大丈夫なのだろうと思いますが
背中に入っているので仰向けだと
どうしても傷を抑えてしまいます。
「早く退院したい。」悲しげな力のない笑顔で
夫が私の顔をみつめます。
早く退院したいよね」と返すのが精一杯。


12/18 
今日は家族にとっては特別な日です。
長女が17年前、1歳1ヶ月の短い命を終えた日です。
心臓の病でした。
例年なら、家族で西本願寺までお参りにいくのですが
今年はそれもかないません。
夫と二人、病室で静かに手を合わせます。

12/19 
3日ほど前から、リハビリで立つ練習をしています。
久しぶりに見た夫の立ち姿。随分とやせてしまいました。
膵炎だけなら、安静度も口からの食事も進んでいくのでしょうが
夫の場合、胆嚢と総胆管に石を持ったままなので
運動や食事の刺激で石が動いてしまう恐れがあるとのこと。
それで、あまり動かすことも、口からの食事も
手術終了まではおあずけだそうです。
エレンタールで空腹感はないものの
24時間鼻からのどに感じるチューブの違和感
体を動かせば気管切開のカニュレが
気道を刺激して激しく咳き込みます。
夫の辛さを思うと、いたたまれません。

そんな夫のストレス解消に少しでもなればと思い
今日は、ゆず入り足湯にしてみました。
部屋中にひろがるゆずの香り
少しはリフレッシュになったでしょうか

 12/21 
この日、尿道に入れていたバルンカテーテルが抜けました。
1ヶ月以上留置していたので
そろそろ入れ替えの時期だったそうですが
夫がそこそこ動けるようになったので
今後は自尿で排尿することに。
長期間、カテーテルのお世話になっていたので
尿意を感じるか心配しましたが
けっこうあっさり普通に排尿できました。
長い間デリケートな部分に管が入っていたので
さぞすっきりしたことだろうと思いきや
夫いわく「別にたいしてかわらない」とのこと
ふーん そんなものなのか。


 12/22 
この日、心臓のエコーをとりました。
幸い心臓そのものには問題ないものの
以前IVHが入っていたところに
線状の血栓が今も残っていることが判明。
心臓に近い部分なので
血栓が飛んで肺塞栓を起こしてしまう可能性もあります。
いつまでたっても気がぬけません。
血栓対策として、明日から皮下注射が開始されます。

 12/24 
気切部のカニュレが変わりました。
指で穴をふさぐと、声をだすとこができます。
1ヶ月半ぶりに聴く夫の声。
聞きなれた声のはずなのに
なんだかドキドキしてしまいます。
すこしかすれてはいますが、
低くて、暖かい、夫の声です。

 12/25 
夫の声がでるようになったことは
子供たちには内緒にしていました。
今日はクリスマス
ちょっとしたサプライズということで
病室から子供たちに夫から電話をかけました。
案の定、子供たちは大騒ぎ。
2週間前まで手伝いにきていた九州の母にも電話
電話先で母に号泣され、夫ももらい泣き。

この日、医師から年明けの手術に関して話がありました。
最初の話では年明け早々ということでしたが
他手術のスケジュールがいっぱいで
1月末になる可能性が大とのこと。
このまま、経口摂取もできないまま
1ヶ月もまたされるのは あまりにも酷です。
筋力の低下も益々進み術後の合併症も懸念されます。
どうせまたされるのであれば
まずは経皮的もしくは内視鏡的に仮性
膵膿胞のドレナージをして膿胞が小さくなったところで
腹腔鏡で胆嚢と総胆管の石がとれないかと相談したところ
医師からはあっさり「無理です」といわれました。
生きるか死ぬかの状況から命を拾っていただいたのは
いくら感謝してもしきれません。
でも家族のエゴたとわかっていても
助かった以上、1日も早い社会復帰を望んでしまいます。
      

 12/26 
右腕に入れていた点滴の部分が腫れて
痛みがでてきました。
10日以上使用していたので、もう限界だったのでしょう。
左腕に刺しかえました。
この日、夫の上司がお見舞いにきてくれました。
「病気療養に専念して」との暖かいお言葉でしたが
なにせ、このご時勢、長期療養後仕事があるのか?夫は不安なようです。
でも夫は精一杯の笑顔で上司と会話していました。
   

 12/27 
昨日点滴を抜いたあと静脈炎がひどくなっていて
赤く熱をもっています。
すこし触れただけで「痛い」と顔をゆがめる夫。
冷湿布とステロイドの軟膏で様子をみることになりましたが
幹部がかなり固くなっているのが気になります。
蜂窩織炎などおこさなければいいのですが・・・
基礎体力が弱っているので
どんな変化も大きな心配につながります。

ベッサイドに立つ練習をしました。
未だ胸腔ドレーンから持続吸引をしているので
これが抜けるまでは、車椅子移動もむずかしいのです。
5分ほど立って、その場で足踏み
ただ、これだけで夫は相当疲れたようです。
     
仕事となれば、通勤だけでもかなりの体力を必要とします。
復職ができる体になれるのだろうか
不安がよぎります。

この日は日曜で、子供たちも一緒に病室ですごしました。
病室」という我が家にとっては不本意な環境ではありますが
家族5人がそろって、たわいもない会話をしてすごす時間は
至福の時です。
一時期のことを思えば、奇跡の時間です。

 12/28 
本日CT実施。結果は特にかわりなしとのこと。
ただ移動の際、初めて車椅子を使ったそうです。
胸腔の持続ドレーンや点滴でちょっとしたデコ車椅子
デコレーション車椅子)状態だったとか。

今までポータブルで撮影していた胸部のレントゲンも
立位で普通に撮れたということで
看護師さんのほうが、少し興奮気味でした。
 
 12/30 
今日から年末の休みにはいったので
いつもよりは長い時間夫に付き添えます。
全身清拭、足浴、足裏マッサージなど
「ここちよい」と感じてもらえそうなことは
思いつく限りやっています。
ICUで意識がない頃に比べれば
夫にできることがあるというのは本当に嬉しいです。

 12/31 
今年も終わり。まさかこんな形で年越しを
迎えるとは思っていませんでした。
子供らも今日は昼からきて、夫とともにすごします。
「紅白」を最後までみる予定でしたが
夫がお疲れの様子なので、9時には退出することに。
子供らも「お父さんのいないと大晦日やお正月の実感が全然ない」とのこと
来年の大晦日は、いつものような年越しを迎えたいです。

 1/1  
夫から子供らにお年玉贈呈。
子供らいわく「やっと少しお正月がきた気がする」と
現金なやつらです。

 1/3  
夫の排泄が、ポータブルトイレに昇格。
オムツや便器よりは普通のトイレに近づいてきましたが
夫としてはそれでも苦痛のようです。
2~3歩で、室内のトイレにいけるのですが
胸腔ドレーンでの持続吸引が続いているので
その2~3歩が難しいのです。

 1/4 
いきなり進展がありました。
胸腔ドレーンが抜けて気切の穴もとじることになりました。
当初はオペ後落ち着くまでは入れておく方針でしたが
呼吸器外科の医師が「こんなものいつまでいれておいても
本人のストレスが溜まるだけ。
必要になれば空気の通り道のプロである僕が
どうとでも対応しますよ」とあっさり抜去となりました。
外科と内科の感覚の違いは大きいですね~。
 
心配癖がついてしまった私としては
ほんとに抜いちゃって大丈夫なの?と不安もありますが
夫は随分身軽になって、すっきりした顔してました。
そして一言
長かったな~」
まだ開腹手術という大仕事がありますが
小さな山をまたひとつ越えた感じです。


 1/5 
胸腔ドレーンとが抜けたことで
シャワー浴が可能になりました。
実に2月ぶりのシャワーです。
当たり前ですが「気持ちよかった!」とのこと
また、以前より活動量が増えたせいか
夫は空腹感を訴えるようになりました。
はやく食べさせてあげたいです。


1/7 
今日はCT検査
結果はほぼ変わりなし。ドレーンを抜いたあとも
胸水の貯留は認められないとのこと。
ただ、以前IVHが入っていた左鎖骨下静脈の血栓は
大きさを変えずしっかり血管にへばりついているとのこと。
心臓に近いところだけに
肺塞栓になってしまわないか、とても心配。
主治医に上大静脈へのフィルター装着など相談してみましたが
本当に心臓のすぐ近くにあるのでそれも無理とのこと。
薬で気長に溶かすしかないそうです。
心配の種はつきません。


1/10 
EDチューブは入ったままですが
胃液の持続吸引が中止になったので
機械に縛られることがなくなりました。
安静度も、「病棟内歩行可」になったので
点滴スタンドをお供に
リハビリをかねて病棟内を散歩。
スタッフステーションの前を通ると
ナースから「おぉ~」とどよめきが。。。
夫=寝たきりというイメージが強かったのでしょうか
皆さんから「よかったですね~」
と声をかけていただきました。
歩いただけで、喜んでいただけるなんて
夫にとっては歩き始めた赤ちゃんのころ依頼だと思います。
また、何より夫にとってありがたかったのは
自分でトイレに行けるということ。
人の手を借りずに排泄できるって
本当に幸せなことだと感じています。

それから今日は、シャワー&半身浴も実施。
久しぶりに夫の背中を流しました。 
厚かった胸板も薄くなり、引き締まった臀部も
まるで高齢者のようで
いまさらながら、闘病のすさまじさを感じます。
夫はほぼ二ヶ月ぶりの湯船に大満足。
夫が笑顔になると、私も嬉しいです。

1/10~13
手術に向けて、夫は積極的にリハビリ。
片道100メートルもあるフロアの
端から端を10往復したとちょっと得意げ。
飲水も500ccまで許可になり、カフェインレスのお茶を
いろいろと飲んでみます。
吐き気もなく、病院という環境がなければ
事故前の夫に戻ったような元気さです。

1/14 
外科の主治医から、手術に関する説明がありました。
うまくいけば2週間ほどで退院できるとのこと。
「うっそ~」と思いながらも、心うきうき。浮かれていました。
夫は、昼に処方された下剤でトイレ通いにげんなりした様子ですが
それでも退院の目処がついてきたので
うれしそうです。


1/15  
手術当日。
執刀は9時の予定なので、8時には塞栓予防の靴下をはきます。
これが、とてもはきにくい。
奮闘してやっとはくことができました。
以前は手術前にはプレメディ(前投薬)といって
かるい安定剤を注射し
夢うつつの状態で手術室に入るものでしたが 今はそれはなしとのこと。
夫はオペ着に着替え、歩いて手術室までおります。
「まってるからね」と軽く握手をして
手術室前でしばしのお別れ
  
手術中、夫は内科から外科へ転科となります。
外科の部屋が決まるまでは
私も居場所がありません。
デイルームにいても落ち着かないし
かといって外にできる気にもなれない。
結局、車の中で寝袋に包まって、しばし仮眠。
     
手術終了予定は13:30ですが
3:00をすぎても知らせが来る気配がありません。
結局時近くになって夫は戻ってきました。
医師の話では、思ったより癒着が酷く時間がかかったとのこと。
とりあえず手術が無事にすんで、ほっとしました。
夫はうつらうつらしているものの
意識ははっきりしています。
     
部屋に戻ると、夫は思ったよりよく話しをします。
痛み止めにフェンタニールが持続でいくので結構ハイです。
いろいろなバージョンの夫を楽しめて
ちょっと得した気分。

夜になり、吐き気がでてきました。
胃にチューブを入れているのに
1回/時間、口から嘔吐します。
のう胞から胃にでたものなのか
褐色のもろもろとしたものも混入。
術直後なので、夫も苦しそう。

朝、嘔吐とともにチューブが口から飛び出てきました。
結局、チューブが胃に入っていなかったのです。
チューブからは一滴も胃液が出ていなかったので
少し考えればわかることなのに
胃に入っていると思い込んでいるので
単純なことも「おかしい」と感じなくなっていました。
夫には申し訳ない気持ちでいっぱいです。

それにしても第三者である看護師も「おかしい」と気づいてよ!
一晩夫は吐き気に苦しめれらたわけです。

チューブを入れなおしたら、でるわでるわ・・・。
黒褐色のどろどろとした液体もでてきます。
医師によるとのう胞から胃に出てきた内容物とのこと。
検査にだしたらなんとアミラーゼ値が17万もありました。
すっ すごい。

1/16  
術後1日目。夫の体には全部で7本のチューブが入っていますが
癒着などの合併症を防ぐため、歩きます。
点滴スタンドに様々なドレーンやバックをぶら下げて
病棟内を歩きました。
事前のリハビリがきいたのか
しっかりとした足取りで歩いています。
夕方から39度の発熱。

ただフェンタのせいか熱の割には本人そこそこ元気
「腹へったー」としきりに訴えます。

1/17~18

熱がさがりません。37・5~39度をいったりきたり。
夫の栄養は、抹消からの点滴のみなので
熱による体力の消耗が心配です。
先生がたは熱の原因を調べようと
ありとあらゆる検査をしてくださっていますが
これといって思い当たるものがでてきません。
胸水が少し溜まっているからと
ふたたび胸腔ドレーンが入れられました。
夫の体からでている管は、これで8本になりました。

1/19

昼前夫の部屋に入ると、様子が変わっていました。
モニターが運び込まれ、それまで自然落下だった輸液のすべてに
シリンジポンプがつけられています。
モニターをみると、脈が180。 
またもやaf(心房細動)です。
先生方が、モニターを見ながらワソランをはじめ
いろいろと薬を投入しますが、反応しません。
原因はいろいろと考えられますが
イン、アウトのバランスが崩れたのが
引き金になったとのこと。
     
夫は全身から汗が噴出し、とにかくつらそう。
私も以前の恐怖がよみがえってきて、全身が震えます。
「ここまできてなんで?」
「2週間で退院じゃなかったの?」
さまざまな思いにつぶされてしまいそうです。

夕方になり、やっと夫の脈が落ち着きました。
ただ、発熱は相変わらず。

 1/20~21

やはり熱がさがりません
わずが1000caLしかない輸液だけで
高熱が続いているのです。
もう夫は話す気力もないようで
ただベッドに横になっているだけ。
これでは肺炎やイレウスなど
ますます術後の合併症のリスクがあがるだけ
悪循環がたちきれません。
手術をすれば、よくなるんじゃなかったの?
今まで苦しい思いをしてきたのになぜ?
     
21日、経口摂取より前に
またEDチューブからの経管栄養をすることになりました。
チューブブの入れ替えがうまくいかず
ここでも夫は苦しい思いをさせられます。
いつになったらトンネルから抜け出せるのでしょうか。 
出口がみえません。
夫の苦しそうな表情に、私も疲れきってしまいました。

 1/22
   
CTの結果、のう胞内の貯留物に
感染の可能性があるかもということで
夕方、急遽胃カメラをすることになりました。
結果のうほう内の先端が中で癒着していて
胃のほうに上手く流れていない可能性があるとのこと。
造影剤は通るものの、カメラは通らない状況で
自然排出で様子をみるか、経皮的にドレナージするか
検討すると説明がありました。
連日の検査に夫は精魂疲れ果てた様子。
ぽつりと「まるでモルモットやな」と言い捨て
ベッド上で動こうとしません。
   
1/23~24
    
相変わらず発熱は持続。 
ただ酸素カニュラと皮下に入っていたドレーンが抜去されました。
飲水も200ccだけですが可になりました。
それでも体から出ている管は7本です。
時折、吐き気がおそいます。EDチューブが入っているので
嘔吐はしませんが、口からガスが多量に出ます。
動かないので、腸の動きも悪いようでお腹も張り気味。
すでに両肺に無気肺もできてしまています。
明るい材料がありません。

1/25
    
発熱37~38度が継続。
それでも夫は点滴スタンドに5個の袋
4つのシリンジポンプをつけて
日に何度か病棟内を歩きます。
動きはじめはサチレーションが80台までおち
肩で息をしながら、ゆっくりの歩行です。

ただ夜になって、フィブリン製剤とFOYが中止になりました。
FOYでしょっちゅう静脈炎を起こしていた夫には
ストレスの原因が一つ減ったことになります。
これで片腕が自由になりました。
血液検査ではマックス20まで上がっていたCRPが本日は5.7とのこと。
このまま下がり続けてくれるといいのですが・・・。

夫も私も疲れがピークにきています。
本当に疲れました。
つい夫にもネガティブな言葉を投げてしまい
後から落ち込んでいます。
でも、もう疲れました。

1/26
心臓の薬が、点滴から内服(といっても経鼻チューブから)に変わり
シリンジポンプの数がまた一つ減りました。
結果、点滴スタンドには栄養剤用のものを含めて3台を
残すところとなりました。
また発熱は、かろうじて38度を越えずにすごせました。
栄養剤(メイバランス)が30ml/時間に増えたことで
激しい空腹感からも開放されたようです。
さらには、腹腔のドレーンが一本抜かれ
傷の抜糸もされていました。
結果夫の体から出ている管は計5本になりました。
一時期からずれば、結構身軽になっています。

1/27 
本日、尿のバルンカテーテルも抜去
メイバランスが40ml/時間に増えました。
こにきて、回復の兆しが見えてきました。
く食事がはじまらないかな~
夫は2ヶ月半、水分以外は口からとっていません。
早くいろいろなものを食べさせてあげたい。
    
1/28
メイバランスが50ml/時間に増え
飲水も500mlまでOKに
また、飴玉ならなめてもよいと許可がでました。
喜んでいいことなのでしょうが
先のCTで認められた膵のう胞の状況がわからないので不安です。
CRPは4.5まで下がってはいますが
WBCは11000と高値で、37度台の熱も続いています。
何とか自然にのう胞→胃に
貯留物が出てくれるといいのですが・・・
以前胃管から出ていた褐色の貯留物は出なくなり
便も黄色のものが出ているということ
それはつまり、のう胞に貯留物が溜まったまんまだということではないかと
心配です。
飴玉なんかなめて胃液がのう胞に入り込んでしまわないか。。。
    
夜になり主治医から説明がありました。
「胸水が溜まってきたので、抜きましょう」と
結局、胸腔ドレーンが再開です。
医師の説明では、まだ仮性膵のう胞の周囲で
炎症が続いているとのこと。

さらには、以前調べていた便培養で
耐性菌がでてしまいました。
熱の原因はこの菌かもしれないとのことです。
明日のことはわからない
だから今日を精一杯生きよう」と
いろいろな本に書いてあります。
でも今はとてもそんな気持ちになれません。
いったい夫が何をしたというのでしょうか
本人の不摂生で病になったのなら納得もいきます。
なのに、病にならないためにうけた処置でこんな体にされて
事故をおこした、○○総合病院からは何の説明もない。
恨むことで、より自分が苦しくなるのはわかっていても
やりきれないこの気持ちをぶつけないではいられない。

事故にあう前の、強くて、何でもできて、元気で、やさしくて
暖かい笑顔で笑う夫を返して
今すぐ 返して。

プロローグ

本日、ブログデビューです!
元気印の夫が、いきなり医療事故に会い、現在も闘病生活をつづけています。「病」と向き合っている方々やその家族の皆様と情報交換ができればと思い、ブログを立ち上げました。
レモンタイムママは看護師なので、そこここに医療専門用語が入っていますが、ご容赦ください。
まずは、プロローグ。発症から1カ月、急性期の状態を当時の日記から記してみました。

【発症まで】
夫は以前より会社の健診で胆石を指摘されておりました。
炎症を起こす前に、いずれは腹腔鏡で摘出しよう思っており、近くの総合病院を受診。その際、総胆管にも石があることがわかり、まずは内科で内視鏡を使って総胆管結石を除去、その後、外科で腹腔鏡で胆嚢を摘出ということになり、09年11月9日に総胆管の石をとる目的で入院しました。

* 11/10 検査当日

施術後、主治医からは総胆管に管が入らず、膵臓にしか行かなかったことと、結局石は取れなかった旨説明がありました。釈然としないものはありましたが、翌日私は仕事があることもあり、夫も特に変わりなさそうだったので帰宅。
 ただ、その夜夫はかなり激しい痛みを訴えはじめ(このとき家族には連絡なし)血液検査もアミラーゼが1000まで上がっていたのです。

* 11/11

昼ごろ、仕事をしていた私の携帯に病院から連絡が入りました。
「昨夜から痛みを訴えているご主人の件で、主治医から話があります」とのこと。
なんともいやな胸騒ぎがして、病院まで車を走らせました。

主治医からは、「ご主人は急性の膵炎を起こしている。アミラーゼが1000を越え、CTでは腹水も溜まってきている。治療には全力をつくします」と。

「急性膵炎。」
私は血の気が引くのを覚えました。
臨床で経験したことはありませんが、重症になれば致死率の高い病だと知っていたからです。

完全にパニックになっていましたが、「全力を尽くす」という主治医の言葉を信じて、ただただ苦しむ夫に付き添うしかありませんでした。
しかしこの主治医の、「全力を尽くす」を信じたことが、大きな間違いだったのです。

夫はその夜、痛みと吐き気にもがき苦しみました。
夜中から尿の色が赤いことに気づき、看護師に検査を求めましたが尿器にとっておいた尿をみて、「濃縮尿です。」と私の目の前でトイレに捨てられました。
「蓄尿はしないのですか?」の問いかけにも、「蓄尿の指示はでていません」とのこと。
そのうち、下血が始まりました。そんな夫に指示が出ていた痛み止めは「ブスコパン」。
腹膜炎による麻痺性イレウスが懸念されたので、ブスコパンは拒否しました。
夫にされている処置は、腕からの点滴のみ。
私は主治医を呼んでと頼みましたが、結局朝まで医師の訪室はありませんでした。

* 11/12~13

朝の採血結果をもって、主治医があわてた様子で訪室。なんとアミラーゼが2800まで上がっているというのです。
私はその場に座り込んでしまいました。「なんで? なんで?」
そして主治医に懇願しました。
「医大のICUに転送してください。」
さすがに主治医もただごとではないと思ったのか、医大への転送手続きを始めました。ただ転送が決まっても、なかなか夫を運んでくれないのです。
看護師に「まだですか?」ときくと、「運転手が今いないから搬送できない」との答え。
消防署から救急車が来るとばかり思っていた私は、意味がわからず聞き返すと、病院の所有する救急車で搬送するとのこと。
「消防署から呼んでください」と懇願するも、結局3時間ほど待たされたのでした。

 病院所有の「救急車」は酸素もモニターも一切ないお粗末なもので、搬送時も「サイレン鳴らしますか?」という間の抜けた対応。

もがき苦しむ夫を乗せ、11:00頃やっと医大に到着。
医大では医師団が待ち受けていて下さり、到着するやいなや、CT、動注、EDチューブの処置を始めました。
一通りの処置が済み、ICUに運ばれた後、医師から説明がありました。
「ご主人は、重症の急性膵炎です。急性膵炎でもERCP後のものは一番たちが悪いのです。」
その後、今後予想される状況、その状況に必要な処置など事細かに説明がありました。
急性膵炎は、発症してから24時間以内、最悪でも48時間以内の処置が予後を左右するとのこと。
「なぜもっと早く医大につれて来なかったのだろう」という胸をかきむしるような後悔の念が湧き上がります。
私は前夜一睡もできなかったため、朦朧とした状態で、「はい、はい」と聞くのが精一杯でした。

夫と会えたのは説明のあと。体の目と耳以外の穴にからはチューブが入れられベッドに横たわっています。
痛み止めと軽い沈静がかかっているので、うつらうつらとして苦痛からは開放されたようで、それだけが救いでした。
そんな中でも、夫は「○○総合病院とは全然ちがう。ここの先生なら大丈夫だ」と、うわごとのように話していました。

その夜、状態が急変する可能性もあるとのことで家族控え室で一夜をすごしました。
頭に浮かぶのは、最悪の状況。それを全身を震わせ否定し、まんじりともせず長い夜が明けたころ、医師から連絡。
「呼吸状態、腎機能ともにかなり悪化してきている。気管内挿管と透析を開始します。同意書にサインを」とのこと。

挿管前に、夫と会話を交わしました。これが最後の言葉になるかもしれないという思いを、なんとか振り払い「がんばってね」と言うのが精一杯でした。

夫の気道はかなり挿管が難しかったとのことで、麻酔科の医師が、カメラを遣ってやっと挿管したとのことでした。
処置後、夫と対面しましたが、多量の輸液で顔も体もパンパン。ただ、逆に意識がないのがせめてもの救いです。

 * 11/14~

11/14までは、家族控え室につめていましたが、ICUは面会にかなり規制があります。
医師から、「病院にいても、同じことしか考えないでしょう。そろそろ家に戻って、まずあなたの生活をたてなおしてください。」と言われ、自宅に戻りました。
また、仕事も秋の健診真っ最中で、放り出すわけにもいかず、歯をくいしばって仕事をしたあと、夫に会いに行くといった日々でした。
1日が、何週間にも感じていました。

* 11/15

子供らとともにICUに向かう途中、主治医と出くわしました。主治医から沈痛な面持ちで「説明したいことがあります。」と言われカンファレンスルームへ。
医師からは「検査の結果は少しずつ良くなってきていますが、今日のCTで左肺の下に巨大なのう胞ができていることが判明しました。また腹部や臍周囲の皮膚に黒ずみが出てきています。このサインが出ると致死率は6割くらいになります。今のところご主人が助かるのは五分五分です」との話。

説明の途中で、医師の話はもう私の耳には入ってきませんでした。
CRPが少しづつ下がってきていた時だけに、失望も大きく、正気を失いそうでした。
医師の説明後、眠りつづける夫のそばに行き、「おいていかないでね」と繰り返し声をかけるのがやっとです。

その夜、高校と中学になる子供3人に、夫の状況を率直に話しました。娘は、夫が日頃使っている枕を抱きしめて泣きじゃくっていました。

1週間前まで、幸せを絵にかいたような我が家がいったいどうしてこんなことになってしまったのか・・・。
悪い夢を見ているような感じとはこんな感覚なんでしょう。

* 11/16~19

最悪の状況も考えられた中、夫は戦い続けていました。
最高23だったCRPが2/日ぐらいのペースで下がっていきました。
腎臓機能も回復し、動注や透析もはずされました。
医師からはこのままいけば、週明けあたり一般病棟に移れるかもしないとの説明。
また、気管内挿管を抜管したあと、万が一のため気管切開をするとのこと。
少し希望が見えてきました。ただ「感染」という最大のリスクは以前としてあり、全く予断を許さない状況には変わりありません。

* 11/24

夕方病院に行くと、思いがけず夫が一般病棟に移されていました。
病院に着いてから知ったので、あわてて付き添う準備をするため自宅へいったんもどり、再び病院へ。
その間、夫は抑制を自分ではずし、なんとEDチューブを抜いてしまったのです。
担当の看護師さんは、ひたすら恐縮していました。

その夜、夫は大暴れ。無理もありません。10日以上眠っていて起きたら管だらけ。おまけに声も出ない。病棟といっても個室で機械だらけで、環境はICUとほぼ同じ。恐怖でおかしくなるのも当たり前でしょう。
がんじがらめに抑制されて、それが恐怖心をいっそう大きくしているようです。
激しいせん妄状態が一晩続きました。
私はひたすら夫の手を握り、「大丈夫。大丈夫よ」と声をかけるのが精一杯。
せめて片腕だけは抑制をとってあげたいと、その夜は夫の腕と私の腕を抑制帯で結んで過ごしました。
夫に殴られ、蹴られもしましたが、殴られた痛みより夫の辛さが心に刺さり、心が痛かったです。
逆にとても強い力に、「生きている」ことが実感できました。
一時期のことを思えば、手を握ってもらえるだけでもありがたかったです。

* 11/25 

  「天井から虫が落ちてくる」と、せん妄は続いていましたが、暴れることはなく、逆に、スタドールでうとうとしている日々です。
この間、CRPは順調に下がり一桁になりました。

* 12/1

痛みが治まっているようなので、スタドールが中止に。それと同時に意識もクリアになり、以前の穏やかで優しい夫が戻ってきました。
ただ意識がクリアになった分、自分の現状が受け入れがたい様子。特に、床上での排泄は夫にとっては屈辱的な様子です。尿はバルンから出ていますが便はオムツです。若干50歳で、下の世話を人にしてもらうことになるなんて思ってもいなかったことでしょう。
でも私は便が出てくれると嬉しくて嬉しくて。
腸が動いている証拠ですから。

 * 12/4

CRPが1.38まで下がり白血球も8000台に。
主治医からは、「何とか発症から3週間、最大のリスクである感染を起こさずにこれました。時間はかかりますが、これで救命率は9割くらいにはなりましたよ」と言っていただきました。
ただ、37度台の発熱は持続し、胸腔内に溜まっている胸水も相変わらず引けています。
まだまだ油断はできないものの、「別離」の恐怖心はだいぶ薄れてきました。

* 12/6

これまでテレビを見る気にもなれていなかった夫が、テレビを見れるようになりました。
この日は日曜日だったので、普段と同様「サザエさん」を二人で見ました。
状況は決して楽観できるものではありませんが久しぶりに穏やかな時が流れます。


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